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暴露系で生きる女性たち

昨日、下北沢にある本屋B&Bでこんなイベントがあった。

 

アケミン×中村淳彦×森林原人

「AV女優を描き、セックスを仕事にする私たちの理由」

『うちの娘はAV女優です』刊行記念

 

イベント自体には参加していないけれど、イベント終了直後にお店にふらりと寄ると、店内にはサイン待ちの女性客の列や、書籍購入待ちの女性客がたくさん。

彼女らが手にしている本のタイトルは『セックス幸福論』『イケるSEX』など、普通の本屋さんでそれらの本を数冊まとめ買いしている女性を見たら「お、おお…(やるな)」と思ってしまいそうな。(失礼。)

 

最近、本にしてもWebコンテンツにしても、性に関してあけっぴろげに語るエッセイ、コラムがとても増えているように感じる。セックスだけでなく、愛や、夫婦や、不妊治療やLGBTなどのセンシティブな話や、その他諸々を含め。

 

すごい時代になったよなあと思う。

十数年までは、女性(特に日本の)は奥ゆかしく、性に関する話を公的にするなんて、恥ずかしい、下品だ、という風潮がもう少し残っていたような気がするのだけど。

 

このイベントにしてもそうだが、

女性が性に関する話を公言することは単なる「エロ」ではなく、「生きる」ことに近づいているかのようで、神聖な感じすらする。

しかし、もし自分であったなら、やはり自身の旦那や彼との恋愛やセックスについて語るというのは非常に恥ずかしいものだろうし、自分の恥ずかしい部分を公表して、共感を得る事で仕事を作っていくなんて、なんてたくましい女性たちだろう、と思う。

(かくいう私も、ここでアラサー女子のリアルを綴るなんて恥ずかしい事をやろうとしているのだけど。)

 

一方で、男性はというとあまり変わっていない。

男性が自身の性に対する暴露をするようなことはあまりないし、あったとしても、先のイベントに登壇していた、女性の身も心も知り尽くしているAV男優ぐらいの人でないと、神聖さの欠片もない中二病的な下ネタぐらいにしかならないだろう。

 

愛とは何か、セックスとは何か。

それはすごく人間的な問いであると思う。

仕事に少々疲れているアラサー女子である筆者が最近感じることに、「生きる意味を、夢や仕事に見出せなくなった瞬間、男や酒に溺れる以外何ができるだろう」という極論を考えることがある。

病んでいるのである。いや、実際にそうなっているということではなく、病むとしたらやっぱそんな感じじゃない?と思っている。私だけでなく、世間全体が病んでいるような、そんな時代だ。

 

暴露をする女性たちは、女性の生きる環境が変わっていく中で必死に自分たちの生きる意味を探しているのかもしれない。

 

大半の女性が、本心ではやはり幸せな結婚をすることを夢みることは今も昔も変わっていないけれど、結婚後の生き方が不安定な都会で、幸せとは、生きる意味とはなんなのか。(仕事?子ども?それとも?)

 

少し前までは、女性であってもバリバリ仕事をするいわゆるデキる女性タイプや、ギラギラと燃える野心を隠さず個性的に生きていこうとする芸術家タイプ、新しい働き方でキラキラ輝くノマド系など、「私こうして成功しました」的な話がまだ話題を集めていた気がする。

それが最近では、そのようなギラギラと理想の人生を追い求める女性よりも、自分の失敗や恥ずかしい部分などを洗いざらい暴露して、それでもたくましく生きていこうとする女性の方が共感を得るようになっている。

 

男性にしてもそうかもしれない。「こうやって成功しました」的な本は、ホリエモンを除き誰にも見向きされない、「そんなうまい話あるわけないでしょ」と冷遇されている感じがする。

 

女性にしても、男性にしても成功を夢見ることができない時代になったということか。

日本の、この冬の時代は一体いつまで続くのだろう。