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さみしさの正体

さみしい、とは何か。

 

ここのところずっと考えていた。

恋人と別れてから2ヶ月ほど、人から「さみしいか?」と聞かれたならば、答えは「意外とそうでもない」。

ただ、やはり彼という人間が好きだったとは思う。

だから、「さみしい」というよりも、その人を幸せにしてあげられなかった不甲斐なさや、これからの人生を共に過ごしていく存在ではなくなってしまった事実が悲しい、と思うことの方が多い。

 

さみしい、とは何か?

「さみしい」とは、思うに「ちょっと足りない」ということだ。

口さみしいという言葉があるが、あれは「口の中が少しさみしい」、要は何か少し食べたい気分で、ちょっと足りないな、ということだ。

しかし空腹なわけではない。

空腹で死ぬことはあっても、口さみしくて死ぬことはない。

 

さみしくて死ぬ、という人がいるが、それはだいぶ間違っていると思う。

ちょっと足りなくて死ぬ人はいないのだ。

さみしくて死ぬ、という人は「さみしい」という言葉に頼りすぎである。

 

「さみしい」に代弁させている本当の欲求は何か?

 

「人恋しくて今すぐ誰かに抱きしめて欲しい」なのか、

仕事か何かを一生懸命頑張ったから「頑張ったね」と褒めてもらいたいのか、

ストレスが溜まっていて誰かに愚痴を聞いて欲しいのか。

例を挙げてみたけれど、やっぱりどれも、死ぬほどのものではない。

 

「さみしい」のは「ちょっと足りない」だけなので、現状がまったくダメなわけではない。言い換えると、一定量満たされているのだ。

 

こじらせアラサー女子としては、最優先である仕事に対しても、少し「足りない」と思うことがあり、なんだかなあと日々モヤモヤすることはある。

今の仕事を金輪際続けられないほど大嫌いなわけではない。

けれども、例えばもう少し人から認められたい、もう少し人に感謝されるような仕事がしたい、もうちょっと、自分の好きなことや得意分野にチャレンジしたい、みたいなこと。言葉にしてみるとすごく幼稚だ。

 

「さみしい」とは、どこかちょっと足りないだけ。現状に一定の満足感はあるけれど、どこかにちょっとの不満があるだけなのだ。

 

シングルでさみしい、という女子も、意外と一人の生活を満喫しているのだ。休日、部屋着にノーメイクで好きなだけNetflixを見たり、お気に入りのラーメン屋さんで一人グラスビールに半ラーメン・半チャーハンを食べたり、たまに見かけるイケメン店員に少々ときめいたり。

 

ただ、そんな生活の中でもふと「さみしい」と思うのは、結婚していない自分にどこか欠点があるんじゃないかと不安になったり、一人でおいしいものを食べたときふと誰かとそのおいしさを共有したくなったり、時々ちょっと足りないなーと思うことがある、というだけ。

 

 川村元気さんの小説『4月になれば彼女は』に、「1人でいるさみしさは耐えられるけれど、2人でいるさみしさは耐えられない」というようなセリフがある。

 

アラサー女子は何かと結婚を重視しがちなのだけど、結婚してもしなくても、その「ちょっと足りない」感は、生きていれば常に隣にあるものなのだと思う。

 

「さみしい」とは、「ちょっと足りない」だけ。

そう思ったら、「さみしい」なんてどうってことないことと思えるのではないだろうか。